こんにちは!ファッションスタイリストジャパンの島野です。
前回は1920年~1940年代までのファッションの歴史を紐解いてみました。
本日は50年代~60年代までの歴史を振り返ってみたいと思います。
50年代のファッション
【シルエットの時代】
50年代のファッションは40年代後半と同様にクリスチャン・ディオールを中心に動いていきます。
それはまさに「ライン時代」と表現でき、毎年のように新しいシルエットが打ちだされていきます。
そのような流れの中でバレンシアガはよりシンプルで機能的なデザインを追求していきます。
ディオールは、54年「Hライン」、
55年「Aライン」「Yライン」を発表します。
バレンシアガをこれに対して「チュニック」を極めていきます。
当時はディオールが発表したAライン。
シルエットと二分して人気を集めたのがバレンシアガのチュニックでした。
【ディオールの死】
1957年、これまでファッション界を引っ張ってきたクリスチャンディオールが52歳の若さで死亡します。
これは毎年ディオールが打ち出してきた「ライン時代」、シルエットの変化を打ち出していくスタイルの終焉を予感させました。
ディオールのメゾンはイヴ・サンローランへ引き継がれていきます。
60年代のファッション
【ファッションの変化】
60年代は、ユースカルチャーがハイファッションの世界にも取り入れられる象徴的な時代です。
流行を作っていたオートクチュールのパターンが変化しだしました。
ファッション産業はアメリカに代表される広範囲な消費者層を相手にする既製服産業へ路線を歩んでいきました。
プレタポルテ(既製服)という新しいファッションの仕組みが登場しました。
【ストリートファッションの登場】
この時代に変化を生み出したのは既製服を着る若者の文化でした。
モッズ、ミニスカート、ヒッピーファッションなど、オートクチュールから降りてくるファッションではなく、若者が自身でファッションを選び、ファッションによりアイデンティティを示しはじめました。
ストリートから一つのファッションのムーブメントが生まれたのです。
【パンツスタイル(パンタロン革命)】
イヴ・サンローランは60年代後半にパンツスタイルを積極的に提案します。
これはシティ・パンツと名付けられパーティードレスとしてではなく、機能美を追求するものでした。
「女性は女性らしく振る舞わなくてもいいのではないか」というウーマン・リブ的な発想がその根底にあります。
次回はいよいよ70年代から90年代の歴史を振り返っていきたいと思います。